長女の日々(・∀・)

田舎と都会の狭間で生きる

Power Game

私の妄想上の理想の人物は、Sex and the City のSamanthaである。というと、大概の人はひく。特に同年代の男性はひく。同年代の女性は、Miranda か Carry が好きなのである。この2人は現実にいそうだし、それぞれの彼氏もいて、面倒くさそう。しかしながら、Samantha はアクティブなオープンリソースなのである。誰でもいいわけではなく、狙った者は逃さない。

実社会では不可能なことである。女性が彼女のようにすれば、常に妊娠と感染症のリスクにさらされる。社会的地位のある彼女は相当なやり手ということだ。

性的に弱肉強食であることは自然であると思う。一昔前によくあった、もてない男が見合いで結婚できて、大した稼ぎがない男のために女性が家事と育児をさせられるのは問題だと思う。今だにその時代の教えを受けた男性が家事、育児ができない女は失格ということがあるが、では、彼は何ができるのか?彼女は稼げないから、それを請け負うのか?それなら、この日本の世界的に悪名高い男女の賃金格差が、性別役割分業を支えてきたのは、どういうことなんだろうか。

Samanthaのセリフで「男女関係は所詮、Power Game よ」というのがある。コレを初めて聞いた時、ほほーと思った。男が女に、女が男にやり込めるられることもあるはず。結婚していようがいまいが、男を法的に捕まえた妻から生まれた子どもだけに、権利があるのはおかしい。

先日、日本の最高裁判所は婚外子の遺産相続を認めた。何より大事なのは、子どもの権利なのだ。社会は子ども自身が分別がつくようになるまで育てる必要がある。親のPower Game に振り回されてはいけない。子どもは自由なはずだ。