Low Context
友人に借りて、戈木クレイグヒル 滋子先生のグランデッドセオリーの本を読んだ。
修士では量的研究がメインだったので、通り過ぎてた質的研究である。分析方法の部分が一番知りたかったところだったけれど、簡潔に書かれていて、勉強になった。
質的研究では、ローコンテクストな日本語をどう分析するかが、大事なんだろうけど、日本語の場合、ローであるがために思い込みも多いんだろうなーと思う。
日本人っていったい、何を基準にコニュニケーションとってるんだろうと疑問に思った。ローコンテクストだと、非言語的なものが大部分を占めるはずって、学問的には90%と以上というのだ。既知であるけれど、改めて納得。
これを自分に当てはめて考えてみる。
プライベートで自分が怒ることと言えば、
「なんだあいつ?何を知ってて私のこと〇〇っていうわけ?」とか、
「なにあのク◯おやじ、キモいんだよ」の二つに、私の場合集約される。
①自分の事を勝手言うなと、②キモいおやじが嫌いという2つのテーマは、
1)私の感情を理解していない(自分が心を許していない人に言われる)
2)団塊世代の人生哲学がうざい ということを表している。
この2点があると、私はよく怒る。単純だ。
そして、こうして良く考えてみると、こんな琴線誰が理解できようか。
私は典型的なローコンテクスト野郎である。嫌いな人には笑顔で接し、
大事なことをごまかすのが好きだ。それで、人に分かってないと怒るのだ。
変なやつだな。ということで、質的研究への臨み方は理解できた気がする。